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第7章 写真師・小野崎一徳

Posted by: Onozaki | Posted in: 小野崎一徳写真帖

彼はなぜ、日本ではいまだ黎明期にあった写真術を学んだのか。
なぜ銅山御用の写真師となったのか。
一般にはあまり知られることなく生涯を閉じた一人の写真家の素顔と小野崎写真館の歴史を、
家族ならではのエピソードをまじえつつ綴る。
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小野崎一徳の肖像。
(撮影年不明)

木材の時代

Posted by: Onozaki | Posted in: 小野崎一徳写真帖

運搬関係では、人力での鋼索の運搬風景(図版【147】)には感動させられた。写真は荷を運ぶ人々に立ち止まってもらって、もしかしたら一度置いた荷物を改めて持ってもらって撮影されたものであろう。しかし、それでもなお、当時の運搬作業のありようを如実に伝えている。筆者は恥ずかしながら鋼索は馬が運ぶような気がしていた。しかし、切り分けずに長いまま運ぶためには、少なくとも険しい地形のところでは、このように人の力にたよらざるを得なかったであろう。第2章の写真からは当時の大規模な土木・建設工事も、人々の力による運搬作業の結晶であったことが感じられる。
これらの写真による知見は第二の視角のものであるが、この視角の、写真からの発見として私がもっとも印象深かったのは、木材の活用の幅広さである。この写真集で見られる、初期に架けられた直利橋、索道の支柱、木材の橇やトロッコによる運搬路、水車用の樋などは目を引く木造の構造物であり、一度気づいて見れば、機械の背景のレンガ造建物でも屋根を支える構造物など至る所に木材が活用されている。にぎわいや発展を示すために撮られたであろう建造物群もほとんどが木造であり、燃料となった木炭や薪、また抗木を含め、鉱山が膨大な量の木材を消費し、それに支えられたという印象が強く感じられる。足尾銅山の操業により、乱伐と煙害の双方を通じて山林が荒廃したことは知られているが、それは周辺に豊富な木材資源があり、未だ鉄鋼材が容易には入手できなかった時代に、ヨーロッパでも日本でも起こったことだった。
カバーにも使われる有木抗口で撮られた印象的な抗夫たちの群像(図版【97】)からは、足尾が多くの人々の労働の場であったことが実感できるが、彼らの背後にある「火薬貸下所」と書かれた建物の機能も気になってくる。抗口に見張所と呼ばれる建物があって、明治40年の暴動の時には打ち壊しの対象になったことが知られているが、写真の建物は、単に作業場必要な人に火薬を交付する窓口だったのだろうか、それともここに写る人々が毎日ここで何らかの手続きをしていたのであろうか。
すなわち彼らは写真撮影のために足止めされたのか、それともここで呼ばれるのを待つ間に撮影に応じたのだろうか。そんな簡単そうなことも、私にはわからない。すぐれた写真が研究の課題をつきつける例である。

足尾銅山の絵葉書事情

Posted by: Onozaki | Posted in: 小野崎一徳写真帖

 明治期の足尾銅山の絵葉書が数多く残っている。古絵葉書の市場においても、その数の多さは一流の観光地並みである。かつて絵葉書は映像を伝達する手段の一つであったため、各地の鉱山や産業施設においても盛んに発行されていた。しかし、足尾銅山の絵葉書の種類・量を上回るものは見あたらない。現在、私の手元にも約600枚前後が集まっている。
 一般に、絵葉書の写真の撮影者はほとんどが不明である。しかし足尾の場合は、銅山御用の小野崎一徳が銅山内外の撮影を一手に引き受けていた。事実、「小野崎写真館」のクレジットが入った絵葉書も残されており、足尾関連のものはすべて一徳の撮影とみてよい。
 当時、カメラは非常に高価であり、専門的な知識を必要とするところからも、現在のように誰もが手軽に写真を撮影することはできなかった。また、写真の出版は経費がかかり、ましてや鉱山の風景が一般の書籍で取り上げられることなどはほとんど考えられなかったのである。
そうしたなかで大量に残された足尾銅山の絵葉書は、往時の姿を伝える史料といえる。しかも、プリントや写真集で見られない、いわば失われた一徳の写真も使用されていて、その意味でも貴重な存在である。
 本書に一徳の絵葉書を収録するにあたってはできるだけ多くのテーマを紹介するようにつとめたが、全体で見ると、枚数や種類の多さで目につくのはベッセマー転炉の絵葉書である。明治26年(1893)に世界でも2番目に建設されたこの転炉は、新技術を導入して近代化を推し進めた足尾銅山の象徴といえる存在であった。また、激しく火を吹き上げる作業風景が写真家の創造意欲をかきたてたのかもしれない。
 鑿岩作業や見張り・昇降機(エレベーター)などの坑内風景、抗口と電気電車、鉄架空索道(空中ケーブル)、本山製錬所の外観なども多い。特に製錬所の風景は、沢山の種類が発行された絵葉書セットのなかにかならず入っていたようである。
 また、手元の絵葉書の9割以上が銅山関連だが、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』にも登場する足尾の名所・庚申山や「足尾八景」「野州足尾銅山渡良瀬の桜」と題した風景写真のシリーズもわずかながら残されている。風景写真に地元俳人の句を添えたものもあって、かつての足尾で俳句などの文化活動が盛んであった時代を彷彿させる。
 小野崎写真館では観光用だけでなく、行事記念や広告用の絵葉書の製作も引き受けていたようだ。図版【221~224】がそれで、大和屋本店の絵葉書である。絵葉書が入っていた袋から、通洞近くにあった「和洋御料理」の店とわかる。
 なお、足尾の絵葉書の発行元は、地元の出版社・書店・会社・小野崎写真館自身など多種多様で、東京などの印刷会社や問屋のものもある。