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坂口 祐(1878~1969) 足尾銅山をめぐる人々

Posted by: admin | Posted in: 足尾をめぐる人々

 坂口 祐(SAKAGUCHI TASUKU) 明治11年秋田県大湯で会津藩士中村富造の次男生まれた。 家が貧しく近くの銅山で働いていたが、18歳の時上京、職をもとめて歩いたが儘ならず、足尾銅山の坂田飯場で働いていたが、20歳で徴兵検査を受け日露戦争では弘前の騎兵隊の分隊長として従軍した。 帰還後、関東学院中等部に編入し明治42年第一高等学校(一高)に32歳で入学、東大に進み哲学科宗学を専攻、大正3年主席で卒業した、その時彼は37歳でした。 明治39年、足尾銅山の飯場の娘、坂田千恵子と結婚し姓を中村から坂田とする。

 大学時代にクリスチャンとなった坂田は大正8年キリスト教を建学の精神とする関東学院を創設し昭和24年には新制関東学院大学を設立した。

ウオルターウェストン(1861~1940)足尾銅山をめぐる人々

Posted by: admin | Posted in: 未分類, 足尾をめぐる人々

 ウオルターウエストン(WALTER WESTON) 英国の宣教師でケンブリッジ大学卒業し明治14年(1881)27歳の時、最初に来日し以来三度訪日して宣教師として伝道活動のかたわら日本の山岳に登り世界に紹介している。 日本アルプスの名ずけ親で日本山岳会の結成に尽力した。

 彼の写真コレクションは、イタリヤの山岳博物館に収められいるが平成11年、山岳誌「岳人」の創刊50周年を記念して「ウェストンの見た明治.大正の日本」写真展が東京都写真美術館で開催され、日本で初めて公開された94点の作品の中に足尾の写真があり、その写真がこの写真展の宣伝ポスターとして使用され我々の眼に入り感激した。 その写真は明治40年(1907)頃、深沢の入り口にあった栃本屋旅館の二階から赤倉精錬所を写したもので絵の具で着色されていた。

 作者が不明とのことですが、ウエストンは隣の日光,中禅寺訪れているのですが、足尾に来た記述がないので、この時期小野崎一徳は栃本屋旅館から約500メートルの赤倉で写真館を営業していたので彼の撮影によるものではないかと思われる。

WALTER WESTON

提示馬車<teijibasya> 足尾熟語辞書

Posted by: admin | Posted in: 足尾熟語辞典

提示馬車<teijibasya> : 足尾銅山鉱業所が従業員用に運行した馬車。

毎日定時に運行したのでこの名が起こった。大正15年(1926年)にはガソリン車変わって、昭和28年(1953)東武バス運行によりガソリン車も廃止された。

足尾に生きたひとびとより 著:村上安正

原 敬 (1856-1912) 足尾銅山をめぐる人々

Posted by: admin | Posted in: 足尾をめぐる人々

 原 敬(HARA TAKASHI)

 南部藩家老の家の次男として生まれ、藩校を出て海軍兵学校を受験するが失敗して明治9年に司法省学校に入学したが、退学して一時新聞記者になるが井上馨の世話で官界入りし、そこで陸奥宗光に認められて政界の道が開けて古河と接触持つにことになる。

陸奥宗光外務大臣の時に外務次官を勤め、明治30年官界を去って大阪毎日新聞社長になり、33年に立憲政友会の創立に参加し、35年に衆議院議員となた。 大正2年に政友会第3代の総裁、大正7年には総理大臣となる。 爵位を持たず衆議院に議席を有する首相の初めての出現は平民宰相と歓迎された。 しかし大正10年東京駅で暴漢に刺殺された。

 原敬35歳の時に陸奥農商大臣の秘書官となり,その関係から足尾との出会いが始まった。 明治38年4月、陸奥の次男・潤吉が古河市兵衛の養子になり、新会社古河鉱業会社の社長に就任するにあたり、陸 奥の長男.広告に頼まれて原啓は副社長として、病弱な社長を助けて2年間足尾を見ることになった。

足尾鉄道の一世紀「写真集」 7月下旬発売

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

足尾鉄道の一世紀「写真集」が7月下旬に発売される。

大正元年12月31日、大晦日の日に、足尾鉄道の桐生駅~足尾駅間がようやく開通した。

鉄道史敷設にかけた銅山王・古河市兵衛の夢は、実現までに24年もの歳月を必要としたのである。

そして、一世紀。

現実の「わたらせ渓谷鉄道」にいたる歴史を「近代産業遺産」と地域の視点からたどる。

●収録図版181点、挿図類14点。

●他に表3点、地図、年表、参考文献

●編著 書=小野崎敏

川嶋信行

古美門由佳一郎

●版型=A4変形〔297×225mm〕 189ページ、オール2色印刷

●定価=3990円「本体3800円+税」

足尾鉄道の一世紀

足尾における日本初の技術

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

足尾歴史館のパンフレットが新しく変わりました。

足尾における日本初の技術が紹介されています。リストの内容は、多くの方に知っていただきたい情報であり、私も再認識し誇りに思いたい内容です。

足尾における日本初の技術

技術・文化名 発足年 説明 所在場所
銅山電話架設 1886年5月(明治19) エジソン式 掛水
水力発電所 1890年12月(明治23) 足尾銅山の産業革命の始まり 上間藤
索道(貨物用ロープウェイ) 1890年12月(明治23) 足尾銅山の輸送力増大 各地区
鉄橋「古河橋」 1890年11月(明治23) 火に強く頑丈な橋 赤倉
水套式溶鉱炉 1890年11月(明治23) 足尾銅山の溶鉱量の増大 本山
電気鉄道 1891年(明治24) 足尾銅山の輸送力増大 本山抗
足尾式削岩機 1914年頃(大正3) 手持ち式の小型 下間藤
電気集塵器 1915年(大正4) 排煙除害 本山
電動のこぎり 1924年頃(大正13) 製材所用 銀山平
自熔製錬法 1956年(昭和31) 無燃料、コークス、石炭、電気不要,無公害 本山

 

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大正~昭和期に使用したカメラ「4」

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

シャッターも開閉しました。エアーレリーズがあれば撮影できるかも・・・

明治後期~昭和初期使用 カメラ5.jpg

明治後期~昭和初期使用 カメラ6.jpg

エアーレリーズとシャッターをつなぐパイプが破損してます。(どうにかなるかな)
シャッター用のバネも交換したほうがよさそうですね!
撮影にむけ行動開始します。
いつになるか分かりませんが、撮影写真をUPします。

大正~昭和期に使用したカメラ「3」

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

蛇腹がテープで補強されているのが残念です。

明治後期~昭和初期使用 カメラ3.jpg

明治後期~昭和初期使用 カメラ4.jpg

大正~昭和期に使用したカメラ「2」

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

レンズはXenar(クスナー製)
他にレンズがTesser(テッサー)とダルメーヤが残っている。

明治後期~昭和初期使用 カメラ+レンズ2.5.jpg

エアーレリーズ(シャッター)が見あたらなかった。

明治後期~昭和初期使用 カメラ+レンズ2.jpg

撮影者がレンズに映り込んでいるが見逃して欲しい。

大正~昭和期に使用したカメラ「1」

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

当写真館で使用したカメラ 年代ものだがカメラのメーカーが分からない。
移動してみたが台車も動いた。

明治後期~昭和初期使用 カメラ1.jpg