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昭和4年に足尾に移築された「豊潤洞」の画像3

Posted by: admin | Posted in: 足尾の歴史・情報

柏木平にある豊潤洞は、もと明治の元勲、陸奥宗光の大磯にあった別荘です。

詳しくは、昭和4年(1929) 豊潤洞移築される。

豊潤堂が「山荘 豊潤堂」とし、一丸旅館の運営により宿泊施設として利用されていた時代のパンフレットを見つけました。

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パンフレットより

庭園 3000坪

収容人数 50名

浴室完備 総檜風呂

※団体様の場合ご予算に応じご相談申し上げます。

ご宿泊料金(税・サービス料込み) 1名様1泊2食付 1800円以上

 

かなりのおてごろな料金だったと聞いています。

歴史的価値のある「豊潤堂」が宿泊

施設として活用されていた事にも驚きました。

泊まってみたかったと改めてため息がでます。

※豊潤堂の資料が少ない中、T様ありがとうございます。

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足尾の盆踊り 直利音頭の歌詞

Posted by: admin | Posted in: 足尾の歴史・情報

【直 利 音 頭】

ハア 私しや足尾の (ハヨイヨイト)

坑夫の女房 サア しきを恐がる

チョイトサ 子は産まぬ

 

ハア 主は足尾の (ハヨイヨイト)

金堀大工 サア 直利出すよに

チョイトサ 願かける

 

ハア 高い煙突 (ハヨイヨイト)

アリヤ製錬所 サア 汽車は出て行く

チョイトサ 金積んで

        

ハア 浮世苦労は (ハヨイヨイト)

渡良瀬川の サア 水に流して

チョイトサ 共稼ぎ

 

ハア 花の渡良瀬(ハヨイヨイト)

青葉の小滝 サア 月の眺めは

チョイトサ 備前楯

 

今まで何気なく、直利音頭の歌詞を口ずさんでいましたが、改めて歌詞を見たのは、初めてです。

驚いたのは、歌詞が5番まであること、そして「抗夫の女房」の歌詞であることですね。

まちの文化、喧騒が思いうけべますね。

アーネスト・サトウ(ERNEST SATO)「1843-1929」足尾銅山をめぐる人々

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 アーネスト・サトウ(ERNEST SATO) 幕末から明治期にかけて日本の近代化に多大なな貢献をした英国の外交官。 日本の近代化に西洋文明を丸ごと導入することを提案し、日本政府はそれを採用することになり、鉱山における近代化のモデルのひとつになったのが足尾銅山である。

 明治19年の夏、サトウが足尾に来て当時の政財界の著名人と会合した記録がある。 足尾で会った人物は古河市兵衛が招待した陸奥宗光、後藤象二郎、渋沢栄一ら一行であった。

 陸奥宗光は明治政府の高官の中で欧化論者であり近代化推進派の先達であったのはサトウとの交流によるものかもしれない。 陸奥の次男、潤吉は後に古河市兵衛の養子になり米

国に留学し近代経営者として会社を引き継いだ。

 サトウは1843年にロンドンで生まれで1862年(文久2年)、19歳の時に来日し英国公使館の日本語通訳生となり明治2年に一時帰国、明治5年から明治15年までパークス公使の書記官となる。 その後、外国の任地を経て明治28年から33年までの6年間、日本公使の要職を務めた。 公的業務のかたわら日本の自然、地理、歴史、文化を欧米の人々にむかって紹介すると共に、日本近代化の導き役をつとめた。 

 彼は文筆家としても知られ、日本に関する著作を数多く残した。 中でも「一外交官の見た明示維新」は現在でも刊行されている。 またサトウは日本の別荘地開発や登山の先達で、特に日光中膳寺湖畔に英国公使館の別荘を創設し、それ以降、各国の大使館が湖畔に別荘を造り、夏の外交は日光で行はれた時期があったと言はれている。

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WAP「ワタラセアートプロジェクト2008」の缶バッチ 2

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8/10から8/31まで足尾を含めた、渡良瀬渓谷鉄道沿線で繰り広げられるワタラセアートプロジェクト2008

記念缶バッチの発売のお知らせです。

全8種類「1個¥200 3個¥500での販売だそうです。」の2種類を紹介します。

他の種類別サイトで紹介しています。

web日光 :  wapイメージロゴ模様 & マルサンのクリームソーダ模様

足尾銅山.net ; WAP2008タイトルロゴ &渡良瀬camping train+cafe

.日光の観光スポット・足尾の歴史を案内する 写真館四代目のブログ : 花輪の花模様 & わたらせ社宅模様

wap_aozora

水沼の水

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原 敬 (1856-1912) 足尾銅山をめぐる人々

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 原 敬(HARA TAKASHI)

 南部藩家老の家の次男として生まれ、藩校を出て海軍兵学校を受験するが失敗して明治9年に司法省学校に入学したが、退学して一時新聞記者になるが井上馨の世話で官界入りし、そこで陸奥宗光に認められて政界の道が開けて古河と接触持つにことになる。

陸奥宗光外務大臣の時に外務次官を勤め、明治30年官界を去って大阪毎日新聞社長になり、33年に立憲政友会の創立に参加し、35年に衆議院議員となた。 大正2年に政友会第3代の総裁、大正7年には総理大臣となる。 爵位を持たず衆議院に議席を有する首相の初めての出現は平民宰相と歓迎された。 しかし大正10年東京駅で暴漢に刺殺された。

 原敬35歳の時に陸奥農商大臣の秘書官となり,その関係から足尾との出会いが始まった。 明治38年4月、陸奥の次男・潤吉が古河市兵衛の養子になり、新会社古河鉱業会社の社長に就任するにあたり、陸 奥の長男.広告に頼まれて原啓は副社長として、病弱な社長を助けて2年間足尾を見ることになった。

陸奥宗光(mutsu munemitu) 足尾銅山をめぐる人々

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陸奥宗光(1844~1897)

先祖は伊達騒動で知られる仙台藩の伊達兵部で、その子孫は徳川御三家のひとつ紀州藩につかえた。

陸奥は勝海舟を師とし坂本竜馬とともに学び、海援隊に入って活躍した。

大政奉還後、兵庫県や神奈川県の知事を勤めたが、明治10年の西郷隆盛らが離反した西南戦争の時陸奥も政府転覆計画に加担したかどで、明治15年まで6年間東北の監獄に収監された。 その間、陸奥身をきずかって衣食等 の差し入れをしたのが古河市兵衛であった。

1883年(明治16年)出獄を許され、伊藤博文の勧めもあってヨーロッパに留学する。
この費用は、一万一千円を要したとされるが、そのうち二千五百円は市兵衛が負担している。

明治維新後、陸奥は新政府に登用され、駐米大使、農商務相、外相など歴任し、次男は子供のいなかった古河市兵衛の養子に迎えられた。

 mutsu munemitu

陸奥 宗光と古河市兵衛

 

 

 

 

陸奥宗光(mutsu munemitu) 足尾銅山をめぐる人々

Posted by: admin | Posted in: 未分類

陸奥宗光(1844~1897)

先祖は伊達騒動で知られる仙台藩の伊達兵部で、その子孫は徳川御三家のひとつ紀州藩につかえた。

陸奥は勝海舟を師とし坂本竜馬とともに学び、海援隊に入って活躍した。

大政奉還後、兵庫県や神奈川県の知事を勤めたが、明治10年の西郷隆盛らが離反した西南戦争の時陸奥も政府転覆計画に加担したかどで、明治15年まで6年間東北の監獄に収監された。 その間、陸奥身をきずかって衣食等 の差し入れをしたのが古河市兵衛であった。

1883年(明治16年)出獄を許され、伊藤博文の勧めもあってヨーロッパに留学する。
この費用は、一万一千円を要したとされるが、そのうち二千五百円は市兵衛が負担している。

明治維新後、陸奥は新政府に登用され、駐米大使、農商務相、外相など歴任し、次男は子供のいなかった古河市兵衛の養子に迎えられた。

 mutsu munemitu

陸奥 宗光と古河市兵衛

 

 

 

 

五分金<gobukin> 足尾熟語辞典

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五分金<gobukin> :収入の半分を強制的に貯金させる仕組み。

鉱夫のもしもの時の費用として貯蓄する仕組み。

また鉱夫が逃亡した際の借財の返済にあれられた。

日光市第2回 足尾石切節 全国大会

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日光市が合併して第2回目となる「足尾石切節」全国大会がかいさいされる。

昨年第1回目の「足尾石刀節」全国大会は、8月19日が開催されました。

参加エントリー188名が石刀節を熱唱しましが、本年度はどのくらいの参加者が自慢の歌声を奏でるのか楽しみです。

settubusi

 

足尾石刀(せっと)節コンクール 復活のストーリー!

石刀節は、採掘作業の際に生まれた民謡で、足尾銅山の坑夫が、つらさや孤独感を慰めるために歌ったものが、足尾石刀節。昭和48年の閉山と共に、足尾石刀節も消えつつありました。。そんな時に、民謡歌手の岡田貢峰さんが、民謡のコンクールで全国一に輝いた事をきっかけに、「足尾石刀節を日本一にする会」ができ、これまで10年にわたり、コンクールを行なってきました。しかし、赤字続きだった事もあり、市町村合併を機に、昨年7月で終了してしました。しかし、有志により千人以上の署名を集め、2007年第一回を開催する事にりました。

 

日光の観光スポット足尾歴史を案内する写真館四代目のブログ

2007年第一回 足尾石刀節 全国大会

足尾鉄道の一世紀「写真集」 7月下旬発売

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

足尾鉄道の一世紀「写真集」が7月下旬に発売される。

大正元年12月31日、大晦日の日に、足尾鉄道の桐生駅~足尾駅間がようやく開通した。

鉄道史敷設にかけた銅山王・古河市兵衛の夢は、実現までに24年もの歳月を必要としたのである。

そして、一世紀。

現実の「わたらせ渓谷鉄道」にいたる歴史を「近代産業遺産」と地域の視点からたどる。

●収録図版181点、挿図類14点。

●他に表3点、地図、年表、参考文献

●編著 書=小野崎敏

川嶋信行

古美門由佳一郎

●版型=A4変形〔297×225mm〕 189ページ、オール2色印刷

●定価=3990円「本体3800円+税」

足尾鉄道の一世紀