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WAP「ワタラセ アート プロジェクト」が閉会

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

足尾を渡良瀬渓谷鉄道沿線で繰り広げられた、WAP「ワタラセ アート プロジェクト」が閉会しました。

8月31日のクロージングパーティーの様子です。

WAP代表の上原さんの挨拶から始まり、地元の演奏による「直利音頭」や「石切節」の披露や、WAPバンド?の演奏などもパーティーを飾り、2008年の8月とWAPが終わりをむかえました。

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足尾の盆踊り 直利音頭の歌詞

Posted by: admin | Posted in: 足尾の歴史・情報

【直 利 音 頭】

ハア 私しや足尾の (ハヨイヨイト)

坑夫の女房 サア しきを恐がる

チョイトサ 子は産まぬ

 

ハア 主は足尾の (ハヨイヨイト)

金堀大工 サア 直利出すよに

チョイトサ 願かける

 

ハア 高い煙突 (ハヨイヨイト)

アリヤ製錬所 サア 汽車は出て行く

チョイトサ 金積んで

        

ハア 浮世苦労は (ハヨイヨイト)

渡良瀬川の サア 水に流して

チョイトサ 共稼ぎ

 

ハア 花の渡良瀬(ハヨイヨイト)

青葉の小滝 サア 月の眺めは

チョイトサ 備前楯

 

今まで何気なく、直利音頭の歌詞を口ずさんでいましたが、改めて歌詞を見たのは、初めてです。

驚いたのは、歌詞が5番まであること、そして「抗夫の女房」の歌詞であることですね。

まちの文化、喧騒が思いうけべますね。

納涼祭 8月15日 無事終了しました。 夏もそろそろ・・・

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

あいにくの雨・・・・・・

それでも仮装大会盛り上がりました。

田舎の納涼祭「直利音頭」は骨身にしみました。

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青年部にはキャプテン ジャク・スパローも出没し雰囲気を盛り上げました。

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WAP(ワタラセアートプロジェクト2008)のフェイスペインティングも子供で大賑わい!

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納涼祭 8月14日

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

足尾銅山の栄えていた時代から今もなお引き継がれている「直利音頭」

8月14日 17:00ころから降り出した雨に中止の不安がよぎりましたが、開会の19::00ころ雨は上がり無事「直利音頭」が響き渡りました。

企画の子供抽選会、 フェイスペインティング「ワタラセアートプロジェクト2008」、生ビール出店「商工会青年部」なども盛り上がりました。

「直利音頭」動画

後日報告いたします。

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本日8/15は抽選会、 フェイスペインティングはもちろん、恒例の「仮装大会」も実施されます。

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足尾納涼祭 8月14日(木)15日(金) 2日間

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報

世界遺産登録をめざす日光市「足尾」のもう一つの文化財”納涼祭”が近づいてきました。

足尾銅山の栄えていた時代から今もなお引き継がれている「直利音頭」を踊りに来てみませんか。

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櫓が立ちました。

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櫓からの景色

 

主催 : 足尾観光協会・足尾町商工会

後援 : 足尾自治会連合会・古河機械金属㈱足尾営業所

日時 : 足尾納涼祭 8月14日(木)15日(金) 2日間 19:00より

場所 : 足尾銅山観光多目的広場

 

企画

8月14日 : 子供抽選会PM7時&PM8時 2回 

         フェイスペインティング PM5時30分 「ワタラセアートプロジェクト2008」

        生ビール出店 商工会青年部 

 

8月15日 : 仮装大会 MP7時50分~

                   お楽しみ抽選会PM7時30時&PM8時30分 2回 

         フェイスペインティング PM5時30分 「ワタラセアートプロジェクト2008」

        生ビール出店 商工会青年部

直利「なおり」<naori> 足尾熟語辞典

Posted by: admin | Posted in: 足尾の情報, 足尾熟語辞典

直利「なおり」<naori>: 品質が高くて鉱脈の巾が広い鉱石。

明治13年(1880)5月古河市兵衛が足尾銅山の再開発を開始して最初に着手したのが鷹之巣坑で、明治14年5月に延長約120mを開鑿して神保樋の直利を掘り当てました。近代足尾銅山発展の先駆けとなったばしょです。

足尾コース 素材 古河橋

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

 古河橋は、明治期に架設された道路用橋として、原位置に留めている極めて貴重な足尾銅山の誇れる産業遺産の1つです。
 明治18(1885)年古河橋の前身である木造の「直利橋」をかけるが、明治20(1887)年の松木大火で焼失しまし、これを教訓に燃えない橋として道路用鉄道(ワーレントラスト橋)が架設されました。
 ドイツ・ハーコート社製で明治23(1890)年 6月に着手しましたが同年8月22日に松木川が大洪水となるなどの被害の中、同年12月28日竣工させる突貫工事でした。 
形式は、鋼鉄製、木床版、単径間ボスとリング・ワーレントラス式 ピン結合  橋長48.5mで、上弦材にH形鋼を使用した珍しい形式です。

古河橋 正面.jpg

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古河橋 行政案内.jpg

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足尾コース 素材 小滝抗跡(日光市指定史跡)

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

明治10(1887) 年、足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は、小滝の旧抗(250m先までの堀止)を利用し、明治18年(1885年)7月にこの小滝抗を開抗し、わずか約9m掘り進んだ先に直利(鉱脈)を掘り当てます。
明治2611月には本山抗(間かく3005)を貫通し、次に立抗で通洞抗(間かく3276)とも連絡するようになり備前楯山にむかって3抗から採鉱がすすめられました。これを機に、一つの集落として大いに栄えました。大正年間には、人口1万人余となりました。抗口、社宅や病院、学校、浴場、製錬所、選鉱所、浄水場、運動場などの跡が残っていて当時の人々の生活が伺えます。昭和29(1954)年に閉山となり、たちまちにして廃墟と化しました。今ではこの地に足を運ぶと当時の面影をしのぶことができます。 

 小滝抗橋 前.JPG

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足尾コース 素材 製錬所跡

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

 足尾製錬所は明治17(1884)年に、増大する製錬処理に伴い現在の地に「直利橋(なおりばし)分工場」としてはじまりまりた。明治26(1893)年からは「ベッセマー式転炉」により、32日かかっていた製錬工程を2日間という短期間で、さらに大量製錬できる最新技術を導入しました。
しかし大量製錬伴い亜硫酸ガスも増大しました。
 足尾製錬所では、亜硫酸ガスを除去しようと改良を加えてきました。
 昭和31(1956)年にはフィンランドのオートクンプ社から自溶炉製錬技術を導入しました。この方法は日本で初めて亜硫酸ガスを止めることができました。さらに煙からは副産物として硫酸を取り出す方式が確立されています。足尾で開発されたこの製錬技術は、日本や世界で現在も活用されている無公害の銅製錬方式です。
 昭和48(1973)年に足尾銅山は閉山しますが、製錬所は輸入した鉱石を製錬してきました。平成元(1989)年、足尾線廃止に伴い、貨車輸送が困難になり製錬所は事実上の操業を停止しました。

製錬
鉱石から目的の金属を取り出す工程を「製錬」といいます。鉱石を溶かし銅を取り出す時に、鉱石の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなり山の草木を枯らしてしまう原因です。

精錬所 前.JPG 

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足尾の映画館と劇場の推移

Posted by: Onozaki | Posted in: 足尾の歴史・情報

 足尾町の映画館と劇場分布図
 ※印は古河系の劇場

※①「直利座」
   昭和6年(1931)本山に建つ。
   本造2階。定員1000名。

 ②「エビス座」
   上間藤に在し、大正13年頃の「名山足尾」によると、青木興業部にて営業。定員1000名。閉山   時解体。

 ③「城崎座」

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城崎正一郎氏 所蔵

   座主城崎浅吉。大正6年(1917)上間藤に建つ。定員1200名。

 ④「いろは座」
   大正13年、上間藤に建つ。定員数800名位の小屋。消失。

 ⑤「金田座」後改称「足尾劇場」
   明治36年(1903)赤澤に建つ。設請負者仁平長吉氏による。座主は今市市相之道油屋、金田徳松・金田祐の金田興業部にて営業(大正2、5年の地図に掲載)。その後、工藤常之助氏の工藤興業部を経て、昭和6年頃、片山興業部へと移り、戦後は青木ムメ氏の青木興業部に移り足尾劇場と改称。定員階下800名、階上400名。平成5年4月1日解体。

 ⑥「末広劇場」
   昭和24年、東映系映画館として赤澤に建設。座主木村泰一氏。オープン時に高倉健来館。定員500名位。昭和64年3月消失。

 ⑦「足尾館」後改称「足尾キネマ」
   足尾で一番古いとされているが、明治35年(1902)松原に建つとある。調べは大正13年「名山足尾」の記録と赤倉の多喜屋主人、青木氏の大正8年頃の資料による。
   昭和7年頃、松竹映画「時の氏神」の現代劇。主演夏川静江。昭和24年(1949)映画研究会、俗に「映研」時代は記憶に新しい。「映研」は鈴木秀夫氏と実弟の新勝等で運営され、当時の会員1200名、会費は月が40円。
 昭和33年には、会員2300名の映画人口を有するほどになる。
   昭和44年4月、火災消失。

※⑧「誠之館」
    大正3年(1914)、足尾では最大の劇場。中才に木造2階建て。1587㎡、定員2000名。
    戦後、歌舞伎菊五郎一行による上演は「三番叟・勧進帳」、新派劇水谷八重子による上演「父帰る」、大相撲東富士一行、柿沼サーカス、木下サーカス、東海林太郎歌手など。
    昭和34年、火災消失。

 ⑨「小滝座」
   いつごろ建ったのか。小滝文象に新嘉蔵が建てた。大正9年、火災消失。定員600名と聞く。

※「鉱盛座」
  小滝に在す。昭和21年7月13日火災消失。昭和26年、小滝会館として再建。定員700名。

『足尾を語る会』会報  1994 第5号より抜粋